歌劇『魔笛』の魔法はキッチュである
池田博明
オペラは奇妙な芸術である。たとえばヴェルディの歌劇『リゴレット』を例にとろう。
マントヴァ公爵の歌う「女心の歌」は調子の良い歌で、拍手喝采されるものの、「女心は風のように変わる」という歌のモラルを賞賛する人はいないだろう。スパラフチーレとマッダレーナの殺人計画の二重唱も見事なものなので、大喝采されたとしても、私たち観客は殺人を承認したわけではない。見事に歌われれば歌われるほど、観客はプラスの価値観を持ってしまうが、もとの音楽は呪詛や憎悪などの否定的な価値や負の価値を歌っている場合も多いのだ。しかし、観客は素晴らしい音楽を聞くと、その人物、あるいは感情がプラスの価値をもつものと誤解してしまいやすい。
なぜ、最初にこのようなことを言う� ��かというと、歌劇『魔笛』の夜の女王とザラストロのどちらが善で、どちらが悪なのかという問題に関わっているからである。
夜の女王の有名なアリア、第一幕の「恐れるな若者よ」にしても、第二幕の「復讐の炎は燃えて」にしても、技巧的な見事なアリアなので、つい私たちは夜の女王の味方をしたくなってしまう。
また、ザラストロのアリア、「この聖なる殿堂には」が低い声で魅力的に歌われると、私たちはうっとりしてしまい、ザラストロの価値観に組したくなってしまう。そして、台本の展開が奇妙に思えてしまうのだ。
チェコ国立ブルノ歌劇場の『魔笛』公演を見て(2001年6月16日、渋谷オーチャード・ホ−ル)、最初に感じたことは、モーツアルトの音楽の雄弁さであった。どの人物にも魅 力があるのだ。(この公演では台詞を削ったり、群衆場面を設定して装置の出し入れを群衆が行うことで、場面展開を早くする工夫をしていた)
[→ウィーン国立歌劇場のショップで販売しているTシャツ]
アッティラ・チャンバイの『魔笛』論、「《魔笛》の秘密、あるいは啓蒙主義の帰結」は大変に魅力ある優れた論文なので、これを上回る考察をすることはほとんどできそうもないが、自分なりに物語の進展にそって、解説を試みてみよう。ちなみに、シャイエの『魔笛 秘教オペラ』(白水社)も、たいへん説得力のある考察を展開していた。シャイエ自身は「構造」という用語を用いていないが、構造主義的な分析である。シャイエの分析は★で示した。
山田正紀のSF大作『ミステリオペラ』(2001� ��、新潮社)に出て来るミステリオペラは『魔笛』だが、解釈にシャイエの構造分析がかなり取り入れられていた。
宮崎駿監督がアニメ映画『千と千尋の神隠し』の紹介で、"大人はどうしても既知の引き出しに入れて作品を解釈しようとする。それが大人の弱点だが、子供は作品のすべてを感じ、理解することができる"と話していた(2001年7月14日NHK)のが印象深い。
『魔笛』の鑑賞のしかたのコツはそんなところにあるのかもしれない。
その音楽は繰り返し聴いても飽きの来ない素晴らしい作品である。
[四コマ・マンガは池田理代子『知識ゼロからのオペラ入門』(2010年、幻冬舎より)]
■ゲーテは言っている。
"「観客は舞台を見て楽しめば十分である。その際、その高尚な意味が(フリ� ��メソンの)入信者たちに見落とされることはないのだから」。ゲーテは特に《魔笛》を高く評価しており、その台本まで手に入れて持っていた。そして自分がその続編を書くんだとついに1820年にその断篇を出版するまでに至っている。また、ゲーテの義兄ヴルビウスは《魔笛》の改訂台本を完成し、1792年にワイマールで上演までしている気の入れようだった。ちなみにゲーテもまたフリーメーソンの会員であった。"(石井清司『モーツアルトをめぐる人々』)
ロマン・ロランの言葉、「モーツアルトは特に三つの作品で崇高なものを表現した。すなわち<レクイエム>と<ドン・ジョバンニ>と<魔笛>である」(『モーツアルト頌』より)魔笛>ドン・ジョバンニ>レクイエム>
■台本作者が誰かという問題を提起した人々は、"近代の「完結した作品」というレベルか らものを言っているのだった。そう、モーツアルトの死は転換点なのだ。近代自我の天才が姿を現わし、パターンの引用が愚作に見え始める、そういう転換点なのである。
ともあれモーツアルトはまだ天才ではない。日銭稼ぎのようにふたりは民衆劇に着手する。・・・・ふたりは場面ごとに共同して構成していったのであって、音楽がほとんどもう最後までいっていただとか、芝居の結構がすっかり考え抜かれていたというわけではない。つまりこの作り方の眼目は、場面場面がいかに見栄えがするか、であって、全体の思想ではない。"(原研二『シカネーダー』p.200)
■"『魔笛』は当時としてはごく普通に、あるヒーローのイニシエーション劇として受けとめられ、その参入の秘儀、およびヒーローとともに導かれる世� �の精神的な高さが有り難られた。・・・されば、のちにベートーヴェンは友人シントラーをパパゲーノとからかい、甥っこの母親を蛇蠍のごとく嫌って「夜の女王」と呼んだ。むろん善玉悪玉のコントラストの明快な舞台だった。"(原研二、p.220)
■「その時、歴史が動いた」(2008年4月9日)で、《音楽の市民革命》としてモーツァルトの『魔笛』初演を取り上げた(初演の日は1791年9月30日)。モーツァルトが神童としてほめ讃えられていた時代、音楽は貴族のためのものだった。しかし、ザルツブルグの司教と対立してウィーンに出たモーツァルトは貴族のための音楽と訣別し、自分の音楽を模索していた。貴族階級を批判したオペラ『フィガロの結婚』の上演に成功したモーツァルトは、フランス革命後、市民のためのオペラ� �取り掛かった。それが『魔笛』だった。夜の女王が象徴する古い慣習やしきたりから主人公は様々な人々との出会いや試練によって平等と自由の世界に導かれる。『魔笛』は大衆劇場で上演され大喝采を博した。モーツァルトの音楽は「市民を楽しませる一種のポピュラー音楽だったのだ」(横浜国立大学・小宮正安)。ディレクターは三木章弘。
番組中、使用されたオペラの映像は『ミトリダーテ』はポネル演出作品、『フィガロの結婚』はミラー演出作品、『魔笛』はデーヴィス指揮作品。
■"《魔笛》台本には、それこそ古代エジプトの文書のように、あちこちで解読不能の欠損部分が出来てしまっている。特に私が気になるのは、セリフの部分が総じて破格に長いことである。聴衆に受けもしない話題を、これほど延々としゃべりつづけるなどということが、民衆劇で考えられるだろうか?
これらのセリフは絶え間なしに、聴衆のしたり顔やしかめっ面や爆笑を誘ったはずだ。"(岡田,2008,p.184より)
序曲:神殿の儀式で奏される三和音のファンファーレで始まる。三はフリーメーソンにとって、重要な数である。夜の女王の侍女が三人、童子が三人。序曲の中盤から後半は生き生きした音楽。
★シャイエは三和音と数えるべきではないと言う。長-短長-短長というリズムは5という数字を意味していて、フリーメイスン結社の象徴体系では女性原理を示すものだという。3の男性原理と対立する原理である。シャイエは徹底してフリーメイスンの象徴の物語、特に「昼」と「夜」、「男」と「女」の対立として『魔笛』を解読しており、「善」と「悪」の対立の物語ではないと主張している。
シャイエによる『魔 笛』の象徴体系の解読
| − ザラストロ − | − 夜の女王 − | → |
| | 《太陽》 | | 《月》 | |
| | − 《火》 タミーノ | | 《水》 パミーナ | → |
| | − 《空気》 パパゲーノ | | −《大地》 モノスタトス | → |
| ↓ | ↓ |
(登場人物のうち、《空気》の象徴パパゲーノと《大地》の象徴モノスタトスの位置は最初は逆転している)
フリーメイスンの象徴体系
| Jakin柱 | Booz柱 | 二元論 |
| オシリス | イシス | |
| 男 性 | 女 性 | |
| 太 陽 | 月 | |
| 昼 | 夜 | |
| 火 | 水 | |
| 金 | 銀 | |
| 能 動 | 受 動 | |
| 3 | 5 | |
| 赤 | 白または黒 | |
| 啓 発 | 無駄口 | |
| 牡牛座 | 双子座 |
第一幕。
▽第一場/第1曲「助けてくれ!」。竜に追われた王子タミーノが登場する。ブルノ公演では、竜は四人で扱うほどの大きな仕掛けだった。夜の女王の侍女たちはそれぞれ傘を持っており、その傘を銃のように扱って、竜を殺す。傘を持つ魔法使いは"メリー・ポピンズ"を連想させた。侍女が現われてから竜が死ぬまでは、ものの数小節しかなく、展開の早さと呆気なさに唖然としてしまう。この場面の転換の早さはさらに続き、タミーノの姿に見とれた侍女たちはお互いに争うかと思えば、アッという間に三人そろって女王に報告することに決める。「だめよ、だめ(ナイン、ナイン)」と三人のかけ合いとなる歌の滑稽さも特筆できる。この三人の侍女は私の好きなキャラクターで、魔法の他愛な� ��が目立つ歌である。そもそもこの場面の魔法は、まがいもの(キッチュ)っぽいことが了解される。
モーツアルトの歌劇を現代化した演出で話題を呼んだピーター・セラーズも、『魔笛』は現代化できなかったようだ(演出はしているが)。『魔笛』の魔法は、かなり単純で安易である。
また、この歌劇には濡れ場が無い。悲劇的な場面も少ない。『魔笛』の上演回数が多い原因は、そんなところ、つまり、誰でも安心して見ることが出来ることにあるのではないだろうか。
▼図は1791年シャーファー作『魔笛』第一幕セットのスケッチ。おそらく初演時のもの。このコピーではきちんと写っていないが,三人の侍女は顔にヴェ−ルを垂らしている。
★シャイエによると、"タミーノが「日本」の衣裳を着ているのは《太陽》の出る東方の国から来たからである。
調性からは侍女たちの「勝った」という勝利の三重唱 に示される変ホ長調が入信式の調性である。しかし、侍女の喜劇的な三重唱からはト長調、そしてハ長調と「世俗的」で「軽薄な」調性に移行する。"

